世界的に強烈なバッシングを受けて苦境に立っているファーウェイ。世界一の国際特許出願数を誇る技術集団である彼らの今後の動向が気になりますが、創業者である任正非CEOの経営哲学は、数年前なら我が国でももっと高い評価を与えられたであろう素晴らしいものです。

その中でも僕が膝を思わず叩くほど感銘を受けたのが、任CEOの「足に合わせて靴を選ぶのではなく、靴に足を合わせろ」という言葉です。これは、削足適履(さくそくてきり=「足を削りて履(靴)に適せしむ(合わせる)」)という四字熟語を引用したものらしいのですが、もともとは靴を無理やり履こうとして足を削るのは(=大怪我します)本末転倒、という意味で、そもそもは足に合わせて靴を選ぶべきだろうという言葉です。(グリム童話の「シンデレラ」では、王子に選ばれたくて無理やりガラスの靴を履こうとして足の指を切断した娘の話も出てきますが、それを彷彿させますね)
しかし、これだと履ける靴しか選べないということになるので、今履くべき最適な靴があるなら、それに自分を合わせろ、というのが任CEOの本意となります。
これは、米国市場をはじめとする世界市場に打って出る時に、中国企業としてのやり方をおしつけることはできない、進出したい市場に合わせて自分たちの業務スタイルやカルチャーを変えるべき、という任CEOの意図から出た言葉とされます。

華為(ファーウェイ)に限らず超ハード・競争社会の中国IT企業環境

午前9時に出勤、夜9時に退社する生活を週6日送る というハードな勤労を強いる中国企業(特にIT系)を評して996、と言うんだそうです。そんな過酷な労働環境に抗議するために匿名のプログラマーが、996.ICUというサイトを立ち上げたことで話題を呼んでいます。
(996ベースで働いていると、ICU=集中治療室行きだよ、という意味ですね)

もっとも、僕の最初のキャリア(某専門商社でした)の時は、午前8時に出勤、夜23時に退社する生活を週5.5日送ってましたので苦笑、996の話を耳にした時は、「ふーん確かにキツイことはキツイよな」という程度の感想だったのですが、まあもはや時代が違いますなw

話が逸れましたが、そんな赤い(黒い?)IT企業の代表格といえるファーウェイは、オフィスにマットレスを持ち込んで徹夜作業のための仮眠に備えるなど、超ハードな労働環境で知られますが、その分給料はいいし、学歴や性別・年齢、派閥など一切関係ない完全実力主義で、頑張って成果を出せば一気に出世できるので、優秀な若者がどんどん集まっているといいます。

年功序列という、気が長く間延びした見返りに比べると、中国のそれは厳しいけどわかりやすいし、何よりフェアと言えるでしょう。
当の中国サイドでも先述の996.ICUの例でもわかるように、その厳し過ぎる労働環境に労働者たちが音を上げつつあるらしいですが、それでも中国企業の躍進は、日本なら20-30年前の存在した猛烈サラリーマンを美徳とした労働事情に支えられているのはある意味確かです。もちろん、強烈なエリート意識や学歴社会・競争社会によってキラ星のように排出される超優秀な若きリーダーたちの存在も重要な要素ですが、いずれにしても、企業を興し引っ張る層と、それを支え押し上げる層が共に存在して、さらに、そうした企業に資金を提供する富裕層の力が加わって、中国の新興企業群に爆発的な成長力を与えているということでしょう。

その中の代表格がファーウェイということになりますが、世界市場を席巻していく有力候補はとても数えられないほどたくさん存在しているのです。
翻って、大企業ならいざしらず、ベンチャー企業にまで”平等に”押し寄せてくる働き方改革の波に心細げに揺れている日本の環境で、どうやって中国企業に立ち向かえばいいのかな、と不安にならざるを得ないのが本当の気持ちです・・・。

靴に合わせよ。

さて、本題に戻ります。

ファーウェイ任CEOの場合は、進出すべき市場に合わせて自分たちをアジャストせよ、という意味で話したのでしょうが、我々がお客様に我々のソリューションを提案するときにも、この言葉をご提案することが多くなっています。

どういうことかというと、例えば、出版社がWebメディアを作ってデジタルシフトをしようとする際に、まず紙の雑誌ありきで話が進んだり、コンテンツの作り方も紙優先、広告の取り方も紙の雑誌のタイアップにWebメディアの広告枠をおまけでつけたりするようなやり方をとろうとすることが多いことに直面するのです。

紙の雑誌は衰退中であり、絶滅はしないまでも、やがて縮小しきれないレベルまで落ち込んでいくはずです。その傾向ははっきりしているのですから、本来であればWebメディアを優先して、Webメディアでのマネタイズを一刻も早く成立させるために、事業スキーム、編集プロセス、営業目標などを切り替えるべきです。なのに、従来のビジネスモデルや体制を維持するために優先順位を変えずに動こうとする。つまり、履くべき靴は決まっているのに、足を削ることを嫌がって靴の方を変えてしまっているわけです。
草鞋からブーツやスニーカーに履き替えなければならないのに、今の足に合うからといってビーチサンダルを選んでも、ほとんど意味がない。山道を全力で走らなくてはならないなら、それに合うアウトドアシューズを履くほかありません。最悪小さくて足に合わずに痛みを感じるとしても、我慢してでも履かざるを得ないはずです。痛いからといって足に合うサイズの革靴を履いても山道を走ることはできません。

このブログでもなんども書いていますが、モバイルインターネットとソーシャルの普及にしたがって、いまや多くの産業における事業環境は様変わりしています。その変化に合わせたビジネスモデルやテクノロジーを使わなければならない。ガラケーが大好きな人であってもスマホに変えてもらわねばモバイルインターネットの本道を使いこなすことはできない。紙の手帳を愛用していたとしても、デジタルで時間や情報を共有していただけなければ一緒に仕事をすることはできない。
新たな靴を積極的に履こうとする人でなければ、もはやビジネスの場から退場していただかなければならないのです。

乙巳の変を知っていますか?

飛鳥時代の一大事件といえば、僕の学生時代では「大化の改新」でした。

僕が習ったのは、大化の改新=以下のクーデーターのことでした。

中大兄皇子、中臣鎌足らが宮中で蘇我入鹿を暗殺して蘇我氏(蘇我本宗家)を滅ぼした飛鳥時代の政変。

しかし、現代の小・中学生が習う日本史では、このクーデターのことは「乙巳の変」と呼び、その後中大兄皇子らが行った改革のことを大化の改新と呼ぶそうです。

いつからこの乙巳の変という言葉が差し込まれたのかは寡聞にしてわからないのですが、とにかく7世紀の事件に関する、日本史的には基礎中の基礎のような知識でさえも、時代によって改まっているということが衝撃です。

つまり、僕たちが変えるべきでない”足”として考えている不動の知識やノウハウは、案外脆くていつのまにか刷新されてしまっているようなものだということです。そう考えれば、会社の業務スタイルやカルチャー、スキームなどは、新たなテクノロジーやツール、ビジネスモデルの導入に応じて柔軟に変えるべき、些細なものであることがわかります。

とにかく2010年代から2020年代に移ろうとしている現代、言ってみれば令和の時代、僕たちに必要とされるのはより良い何かを速攻で取り入れる柔軟さ、そしてそのより良い何かを導入する際に訪れる痛みを甘んじて受け入れ、自らを変えることができること、それが重要なんだということです。

僕たちは実は古い常識や更新されていない旧来の知識に囚われた阿呆である恐れを常に理解しておくべきです。若ければ若いほどいい!とは言いませんが、いまや多くのITガジェットが自動でソフトウェアアップデートしていくように、なるべくスムーズに自分の知識や態度、生き方なども自動でアップデートされるような体制や意識を作っていくことが大事だと思います。

歳をとったら謙虚に。
靴に合わせて自らを変える勇気を持て。

なかなかに難しいことですが、常に自分に言い聞かせていきましょう。

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