宇宙の起源とはなにかとか、量子世界とは何かなど、日頃仕事以外に生まれる様々な謎や疑問を解明したいと思っているのですが、最近環世界というコンセプトがとても気になっています。

環世界とは

環世界(=Umwelt:ウンベルト)とは、ドイツの生物学者であり哲学者であるユクスキュルさん(1864〜1944)が唱えた考え方で、すべての生物は自分自身が持つ知覚によってのみ世界を理解しているので、すべての生物にとって世界は客観的な環境ではなく、生物各々が主体的に構築する独自の世界である、というものです。わかります??

一般的に我々にとって環境とは客観的なものであり、電車があって車が走っていて、人が行き交い、木々が生い茂り、花が咲き、雨が降ったり陽がさしたりするもの、つまり我々の周囲に存在するものすべてを環境として認識していると思います。

しかし、ユクスキュルさんは、環境はそうした客観的なものではなく、むしろ生物ごとに自分の知覚を中心に感じるもの=主体的なものであると考えたわけです。すべての生物に等しく存在するものが環境ではなく、個々の生物が主体的に捉え構築した独自の世界としての環境が無数にある、と考えたのです。

すべての生物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きています。人間は近くのうち7割くらいと視覚に依存していますし、犬なら嗅覚でしょう。人間の環世界と犬の環世界は大きく異なる。
時間や空間など我々を取り巻く環境とは、すべての生物に共通するプラットフォームのようなものではなく、生物それぞれの独自の時間・空間として知覚されているものだというものです。

ヤーコプ・ヨハン・バロン・フォン・ユクスキュル(Jakob Johann Baron von Uexküll、1864年9月8日(ケブラステ) - 1944年7月25日(カプリ島))は、エストニア出身のドイツの生物学者・哲学者である。

ユクスキュルさんは一例として、ダニの一種であり吸血の習性を持つマダニにとっての環世界を説明しています。
マダニには視覚や聴覚がありません。かわりに嗅覚、触覚、そして温度を感じる能力を備えています。マダニは木の上に棲んでいて、通りかかる動物(哺乳類)の接近を、彼らが発する微量な酪酸の匂いをかぎとることで察知します。さらに体温を感じ取ることで、動物の位置を感知して、彼らの上に落下するのです。あとは触覚によって毛が少ない部分へと進み、吸血行為に及ぶのです。

ユクスキュルさんの説明では、マダニは木に棲んでいることを意識しないし、時間の流れも感じない(どのくらい待ったか、などという感覚がない)。マダニにとって世界とは、匂いと温度と触った感じだけで作られるものなのです。

マダニの例は、知覚できるかできないか、というポイントですが、さらにいえば自分にとって意味があるかないか、ないものは知覚しない、もしくはしていない、という言い方もできるかもしれません。

マーケティングとはターゲット層の環世界に作用する戦略なのかも

ユクスキュルさんが主張している本来の意義とは異なるのだろうと思いますが、ここで環世界を拡大解釈してみれば、人間も生物としてみれば全部同じでしょうが、生まれ育った場所や受けた教育などによっては、人それぞれにも微妙に異なる環世界があるとも言えるでしょう。
(繰り返しますが、ユクスキュルさんが本来意図した使い方と違う引用をしているかもしれません)

例えば、以下のポストで若い女性には当たり前のように受け入れられているVIOという言葉が、男性には(年代によって大きく認知度が変わりますが)見知らぬ外国語のようである、という話をしました。

つまり、若い女性にとっては脱毛というのは日常的な習慣であり、その中で重要な部位であるVIO(VはいわゆるVゾーン。デリケートゾーンの両サイド、つまり両足の付け根あたりの部位を指す言葉です。Oゾーンは肛門まわりで、IゾーンはVとOのまさしく間の縦型の領域) は、自分たちにとってまさしく意味がある、常態的に知覚するべき世界なわけです。

ところが脱毛の習慣が少ない男性陣にとっては意味がないから知覚しない。多分、さまざまなところで目にしたり耳にしたりしている言葉ですが、マダニにとっての景色や音楽は知覚できないから意味がない、意味がないから知覚できないように、関係がないから知覚せず、記憶もしないのです。

つまり、男性たちにも脱毛やVIOの処理を含む 身だしなみの新しい水準(推進者であるパナソニックやフィリップスはグルーミングという言葉を使っています)を普及させるということは、男たちの環世界に作用して、それを少し変容させる、ということに他ならないのです。

本当は思索の旅を楽しむために

やや強引にマーケティングと結びつけてみましたが、本当は単なる知的好奇心として、この環世界というコンセプトに思いを寄せていただけで、秋の夜長にする思索の旅の楽しさを共有したかったのです。
ただそれではこのブログを書く意味にも、読んでいただける方々の環世界(意味のある世界)に入らないかもしれないと思い、少し遊んでみました。

ご一読、ありがとうございました。それでは、また。

This article is a sponsored article by
''.