最近『ストレイン』という海外ドラマを観ています。すでにファイナル・シーズン(ナンバーでいえばシーズン4)のDVD発売もされている=完結しているのですが、僕はいままだシーズン2のさわりあたりです。なので、結末を知っている人も、ネタバレ連絡してくるのはやめてくださいねw
このドラマは『シェイプ・オブ・ウォーター』(第90回アカデミー賞では作品賞など4部門を受賞)の ギレルモ・デル・トロ監督が企画・製作総指揮をしていることでも話題ですが、ざっくり言うと吸血鬼(ヴァンパイア。作中ではストリゴイと呼ばれる)vs人類、という図式のSFパニックアクションです。長年人類を支配しようとしていた吸血鬼たちがニューヨークに上陸するところから話は始まり、徐々に人間たちが追い詰められていく物語です。
本作は、NYのJFK空港に着陸したベルリン発の航空機が停止したまま、管制官の呼びかけにも応答しない、これはテロか?それとも疫病か?という緊迫したシーンからスタートします。
アメリカ疾病予防管理センター(CDC)の疫学者、というか医者である主人公のエフらが調査のために機内に乗り込むと、ほとんどの乗客は座ったまま死んでいる。テロではなく未知の伝染病の仕業と確信するエフ達でしたが、やがて死んだはずの乗務員と乗客、そしてわずかに残った生存者たちもおぞましい怪物へと変貌し、家族や恋人などの身近な存在を襲い始めたことを知り、愕然とします。
そんなエフらの前に銀の刃の仕込み杖を持つ一人の老人が現れ、それは伝染病ではなく、意思を持った吸血鬼の襲来であると告げるのですが、科学と医学に従事するインテリであるエフ達はその言葉をなかなか信じようとしない。
結局は老人の言うことが正しいわけですが、事態を把握し、吸血鬼達との対決を覚悟してからも、しばらくエフは感染して怪物化した被害者を吸血鬼とは呼ばず、感染者、というような感じで表現し続けます。
本作の面白さの一つはこの辺りにもあり、ヨーロッパで古くから生き続けてきた吸血鬼一族の存在は、まさにゴシックホラーのドラキュラを彷彿させるわけで、『トワイライト』や『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』などのロマンティックホラーにも通じる世界観があるのですが、エフらの主張や観念はあくまで致死率や感染力の高い伝染病に対する対策、という意識が強く、パンデミック(感染症の全国的・世界的な大流行)をストップさせようとする、科学的な防疫対策、というニュアンスが色濃くなります。そのハイブリッド加減が『ストレイン』の独特な面白さを生んでいる、と言う気が僕はします。
ところで、前述の老人(セトラキアン、というユダヤ人で生涯かけてストリゴイと戦ってきた、生粋の吸血鬼ハンター)が、エフが頑なに”吸血鬼”という言葉を使わないことについて、皮肉でもなんでもなく、「彼もそのうち自然に”吸血鬼”と呼ぶようになる」と予言します。
同時に、名前をどう呼ぶかは重要だ。吸血鬼と呼ぶようになれば相手をそういう相手と認識して対処するコトになる、と言うような意味のことを呟くのです。
名前は世界で一番短い呪い、と言います。(夢枕獏さんの小説『陰陽師』の中にもそのことが書かれています)「呪(しゅ)」とは、形のないものを言葉(言霊)によって縛ることです。 名前をつけることによって、観念を形にする、固定することができる、という意味ですが、吸血鬼と呼ぶことで、彼らを伝染病の感染者としてではなく吸血鬼という化け物として≒敵として認識し、対処できるようになる、ということを老人は言っているわけです。
僕はブランディング戦略の第一歩はネーミングであると思っています。
名前をつけることでサービスにも”人格”を与え、固定化することができるのです。その名前を口にすることで、その内容や効果、意義を意識できるようにするのです。ネーミングとはその意味で「呪」であると思います。
僕たちは自社開発のマーケティングテクノロジーを「dino」と名付けています。dinoとは digital interactive networking object (デジタルで、双方向的なネットワーク化されたオブジェクト=インターネットで配信できるデジタルコンテンツ)の頭文字をとったものです。
僕はブランド名はそれ自体1音節で短いか、略せるかのどちらかで、口にしやすいものでなければならないと考えています。dinoはディノと発音しますが、極めて短いので言いやすいし覚えやすい。長い場合はなんらかの略し方を想定しておく必要があります。(Instagramは名前としては長くはないですが、それでも大抵の若者はインスタ、と略します)長すぎるネーミングや、覚えづらくて言いづらいネーミングは筋が良くない。なるべく簡単でわかりやすくて一度聞いたら覚えるものがいい、僕は常にそう考えています。
さらに dino は、英語的にはdinosaur(恐竜)の意味を想起しやすく、アナログのマーケティングからデジタルのマーケティングに進化させていくお手伝いをすることから、恐竜から鳥への進化の過程の象徴とされる始祖鳥をモチーフとしたシンボルマークも作りました。
このシンボルマークも、dinoという名前あってこそ生み出されたものです。良いブランド名は派生する良いエピソードを生んでいくものだと僕は考えます。その意味で、dinoは我ながら良いネーミングであると自画自賛しているのです。
吸血鬼と長年戦い続けてきたセトラキアン老人の言葉は正しい。
名前をつける、と言うことは、相手をどう呼ぶか、ということは、その対象の意味とポジションを固定化するコトになる。非常に重要な行為なのだ、と僕は考えます。
それこそが、間違いなくブランディングの第一歩。プロジェクトが始まれば、仮称であっても名前をつける。コードネームをつけて初めて、プロジェクトはプロジェクトとしてスタートするのです。
その行為そのものが、ブランディング、ひいてはマーケティングの基本中の基本である、僕はそう考えます。