殴り殴られることで生きている実感を得る、意味不明の享楽にハマっていく男たちの自己破壊衝動を描いた名作『ファイト・クラブ』が示した、否定できない真実の言葉。
「人生の持ち時間はいつかゼロになる」
20世期末に輝きを放った強烈な一本
3年近く仕事をさせていただいたお客さまから、デイビッド・フィンチャー監督xブラット・ピットxエドワード・ノートン主演の不朽の名作『ファイト・クラブ』のDVDをいただきました。
もちろんこのひどく男臭い作品を、僕は何度も見ています。都市型の洗練された暮らしをしながら、むしろそのためなのか強迫観念に蝕まれて不眠症に陥る男(エドワード・ノートン)と、金やモノからの呪縛に全く囚われず生きる完璧な自由人タイラー(ブラット・ピット)の出会いから、シンプルな殴り合いを楽しむ奇妙な非合法グループ“ファイト・クラブ”への傾倒。
やがて意味不明なテロへと向かう彼等の、やりどころのないエネルギーは、理解不能でありながらなぜか強烈な納得感を伴うインパクトを与えてくれる一作なのでした。
誰かに与えられた既成の幸福を受け付けられなくなった男の孤独な反攻
物質文明に意識を支配されている主人公は、洗練された上品な家具や家電に囲まれた、ある意味美しい生活を享受しながらも不眠症に悩まされ、不自由のない暮らしを手に入れながらもなぜか満たされず、やがて自分とはまるで正反対のワイルドな生き方をする男(タイラー)に魅了されていきます。
目的もなくただ殴り合い、青痣に覆われ、歯も折れた無様な顔になりながら、今までにない充実感を得る主人公と、彼を啓蒙していくかのように繰り返されるタイラーの含蓄ありすぎな名言の数々(例は以下に)に、見ている男たちもどんどんのめりこまされたものです。
例 :
「仕事の中身でお前の価値が決まるわけじゃない。預金残高とも関係ないし、持ってる車とも関係ない。財布の中身も、クソつまらないファッションも関係ないんだ」
「痛みもなく、なんの犠牲も払わなくていいなら、なにを得られるというんだ?」
20年ほどの時空を超えて胸に突き刺さる言葉が
しかし、時間というものは、どうにも侮れない力を持っておりまして。
そんな若さを刺激する、過激で魅力的な言葉の呪力も、年を経るごとにいつのまにか効力を失い、すっかり物質文明に毒されてリアル社会での成功をひたすら求める仕事中毒に陥っているのが、今の自分です。
そんな僕ですが、今回、ふとしたきっかけで、DVDというパッケージでこの作品をいただいたことで、僕は新たにこの作品から一つの警句と衝撃を得ました、これまでの自分を見直す機会を得たのです。
トップ画像を見ていただけるとわかるのですが、タイトル(ファイト・クラブ)の横に添えられたキャッチコピーが、今の僕の心に深く突き刺さりました。
「人生の持ち時間はいつかゼロになる」
当たり前すぎて、若い時にはあまり響かなかったのかもしれませんが、それなりの年齢になって、人生の残り時間を考えながら生き方を決めていかねばならない時期に差し掛かってみると、この言葉はめちゃくちゃ重いです。
そう、ゼロになる前に。やりたいこと、やるべきことに手をつけなければ。
タイラーもしくはフィンチャー監督がこの言葉に込めた想いとはもしかしたら少し違うかもしれませんが、この言葉は僕に冷酷な真実を改めて突きつけたのです。
若かろうが若くなかろうが、人生はいつ終わらされるかわからない。そして、どっちにせよ、いつか持ち時間はゼロになるのです。
立ち止まっている暇はない、後ろを振り返る時間はないのです。
持ち時間がいくら残っているかどうかはわからない、事故や病気でいきなりゼロにされることだってあるのですから。だからこそ、一生懸命生きなければ。やるべきことをやらなくては。
それも今すぐに。
ファイト・クラブの一員として、もう一度拳を握りしめて殴り合いに参戦します。人生の持ち時間がゼロになる寸前まで、闘い続けようと改めて思います。