翻って僕が大好きなボクシングでは、10年も前なら20代が選手生命のピークであったはずが、いまではチャンピオンクラスの選手やスーパースターと呼ばれる大金を稼げる人気ボクサーのほとんどは30代です。あきらかに選手寿命が伸びていると言えるのです。
フィンランドでは34歳の女性首相が生まれ、政治の世界でも若年化の流れが見られますが(このこと自体は歓迎すべきトレンドと僕は思います)、ビジネスパーソンの“競技者”寿命はどちらの傾向にあるのでしょうか?国内では70歳定年時代が到来しつつありますが、老害を避けて、働き手としての能力のピークを伸ばしていくことは可能なのでしょうか?
駆引きが入り込みづらい、自律型競技が宿命的にもつ選手生命の短さ
肉体を酷使することで大金を稼ぐプロアスリート。スポーツの世界においては、20代で体力や気力のピークを迎え、技術の円熟化によってそのピークをある程度遅らせることができることができるにしても、遅かれ早かれ限界に到達してしまい、別の人生プランを選択せざるを得ないというのが常識だったと思います。
ところが、例えばテニスで言えば、フェデラー、ナダル、ジョコビッチなどのトッププレイヤーはおしなべて30代。ボクシングにおいてもヘビー級のワイルダー、ジョシュア、フューリー、ライト級のロマチェンコなど、やはり30代に入ってなお最強の座にいるプレイヤーが多く存在します。
スポーツ科学が進化して効率的なトレーニング方法が一般化して(昭和の時代ならウサギとびは日常的なトレーニングでしたが、いまでは膝に過度な負担がかかるという理由で取り入れることはなくなりましたし、運動中に水を飲むのはNGだった過去に対して、現代では運動中に適度に水分を摂取するのが当たり前です)、選手生命が伸びたとも言えるし、加齢によってパワーやスピードが多少落ちてもテクニックが向上することでカバーすることができるようになってきたとも言えます。
最近のボクシング業界では、30代のチャンピオンが多く、30-33歳で強さのピークを迎えるボクサーが多いのは確かです。トレーニングの仕方が科学的になって選手生命の長寿化傾向があることや、15ラウンド時代から12ラウンド時代に変わったおかげで(スタミナを維持しなくてはならない)試合時間が短くなったことなどが影響しているでしょう。ボクシングの強さを方程式で表せば、パワー x スピード x スタミナ x テクニック=α となるわけで、単純に若ければ若いほどいい、ということでもなくなったのは確かです。
ところが、これに比べて、いや、相対的な相違というより絶対的なトレンドとして、フィギュアスケートではジュニアからシニアに上がったばかりの若い選手(13歳から15歳)が、その体の軽さからいきなりトップ選手になり、そして肉体的に成熟していくと、体重が増え、身長が伸びることでバランスが崩れていき、トップ選手としてのポジションを維持できなくなっていくという現象が昨今よく見られるようになっています。
テニスにしてもボクシングにしても、あるいはサッカーやラグビー、野球などにしても、加齢による体力の衰えはあるにしても、対戦相手が存在する競技の場合は経験による頭脳的な戦略(駆引き)や、熟練した技術の高さなどによって、その衰えをカバーすることがある程度可能なわけですが(肉体のぶつかり合いがあるほうが、より顕著にこの傾向が現れる)、対戦する相手を必要としない自律型競技、例えばフィギュアスケートに代表されるアート系競技や、水泳、短距離走などのスピード偏重の競技は、基本的には競技者自身の出来栄えだけで終始するため、そして駆引きが勝負に関わる割合がほとんどないため、どうしてもそのパワーやスピードなど、肉体そのものが持つ条件によって勝敗を決めることになりがちです。
ただ、そんななかでも我々は20代でピークアウトしてしまうことについては、“早すぎる”ことで生まれる残酷さは経験的に許容してきました。それでもやはり、十代後半で引退に追い込まれてしまうような競技については、さすがに問題視する、というのが、ザキトワ選手を取り巻く過酷な現実に対する反応というところでしょう。
(ザキトワ選手が日本人にとっても受け入れやすいタイプの美貌の持ち主であることも、大きな理由の一つになっていると思いますが)
ビジネスの世界もいつのまにか若年齢化している。老害になるか?それとも年齢の壁を超えて進化できるか?
さて、こうしたスポーツ界でのざわつきを気にしたあとは、ちょっと自分たちの身にそれらを置き換えて考えていることが大事です。何事も他人事はよくないですからね。
前述のフィンランドの34歳の若手首相の誕生に見られるように(彼女が組閣した内閣の平均年齢はなんと47歳だそうです!)、経験値による手腕が必要とされる政治の世界でも、若さの可能性を重要視しようとする流れが見え始めています。政治の世界だけじゃありません、IT業界をはじめとする新興企業市場では20代-30代の若手経営者はざらにいます。わからないことは検索して探せばいいし、自分の脳力と記憶力に依存するのではなく、インターネットなどの外部ネットワークに蓄積されたノウハウに依存することによって年功序列を無意味なものに変えつつあるいまの若者の台頭に、抗しきれる何かをあなたは持っていますか?
健康寿命が伸びて、70歳まで定年を伸ばそうという社会的な動きも話題になっていますが、果たして自分たちは、体力・知力などの衰えをカバーできる深い経験や円熟したスキルセットを持っているでしょうか?
実のところ、様々な分野において、今のビジネスの現場は経験がモノを言う世界では無くなってきていると思います。年功序列というか、目上の上司の言うことはきかねばならないという本当はあまり意味がない常識に縛られているだけで、実際には年齢の差や経験の多寡による仕事の出来不出来などほとんどありません。
もちろん業界によるとは思いますが、例えば寿司職人になるのに多少の修行はいるにしても、昔ながらの長い期間の下積みなど必要はない。慣習に縛られる必要はなくなっているのです。
リボルバーではインターネットテクノロジーを活用したデジタルマーケティング(そのなかでも具体的に言えばコンテンツマーケティング)を主たる事業としていますが、僕が思うに、習得に何年もかかるような複雑なノウハウやスキルの習得が必要となる分野ではないです。
難しそうと思って腰が引けてしまうから難しくなるのであって、やってやる!と思いガッツをもって取り組めばあっというまに第一人者になれる分野であると思います。
柔軟な頭脳と、体力を持つ若者ならば、あっという間に老いた熟練者に追いつき追い越せる分野は非常に多いはずなのです。
ただ、ビジネスとはAI同士の無機質で合理的なだけの関係性ではなく、人間同士の非合理かつ有機的な関係性の上に成り立つ、いわば対戦型の競技であり、頭脳的な駆引きが多く介在する世界でもあります。ということは、体力・知力に優れた若者が活躍できる世界であると同時に、数値上での真っ向勝負では勝てるわけもない若者と勝負するために、頭脳的な戦略(駆引き)や熟練した技術を磨き上げることで対抗することができなくはない世界なのです。
なにもしなければ、単なる老害として、後から軽やかに駆け上がってくる若者たちの邪魔になるだけです。彼らに駆逐されるか、邪魔者としてうざがられるか、老練の技で立ち塞がるかは自分たちの心がけ次第なのです。
つまり、老害になるか、エイジレスな勇者になるか、自分たちで選ばなければならないということです。
大事なことは、年功序列は単なる幻想、もはや何の意味もないということを自覚すること。
何もしないでただ経験があると思い込むのは自由ですが、それは老害のはじまりにすぎない、パワーとスピードの維持に必死になると同時に、新しいスキル磨きに挑戦し続けること。それがこの時代を生きていくということ、自分のピークアウトを先延ばしにすることなのです。
小川 浩 | hiro ogawa
株式会社リボルバー ファウンダー兼CEO。dino.network発行人。
マレーシア、シンガポール、香港など東南アジアを舞台に起業後、一貫して先進的なインターネットビジネスの開発を手がけ、現在に至る。
ヴィジョナリー として『アップルとグーグル』『Web2.0Book』『仕事で使える!Facebook超入門』『ソーシャルメディアマーケティング』『ソーシャルメディア維新』(オガワカズヒロ共著)など20冊を超える著書あり。