『へうげもの』とは、武人でありながら粋人として数寄(すき、と発音。風流や風雅を好むこと)を極めた男、古田織部を主人公に据えた長編歴史漫画です。
本作では茶道に端を発する美学「用の美」(物事は、役に立つばかりでなく美しくなくてはならない、という教え)が登場しますが、僕はこの考え方はどんな仕事にも必要なモノと感じています。

用と美=渡りと景とは

講談社漫画週刊誌「モーニング」で連載された『へうげもの』(山田芳裕先生)をご存じでしょうか?
茶聖 千利休の弟子であり、武人と粋人の双方の立場を生きた古田織部を主人公とした長編歴史漫画です。

今回はその『へうげもの』の中で重要な役割を果たす「用の美」という美学を紹介しようと思います。
用とは実用性。美はもちろん見た目の麗しさです。用は渡りとも称され、美は景とも称されますが、要は物事は、役に立つばかりでなく美しくなくてはならない、という利休の教えです。

ちなみに、利休が渡り 六、景 四を理想としたのに対して、彼の弟子であり本作の主人公の古田織部は、渡り 四、 景 六、つまり、より見た目に重きを置いたバランスを推奨しているのが面白いです。

渡りと景を、自分たちの環境に置き換えてみよう

作中、古田織部は、まず自身のアイデンティティに迷い悩みます。武人として武を極めるか、粋人として数寄を極めるか、どちらを選ぶべきかという悩みです。
結果として、彼はそのどちらでもある道を進むわけですが、この悩みは現代人にも通じるところは多いと思います。
言ってみれば、仕事人として出世を目指すか、好きな趣味に生きるか(もしくは家族を大事にする家庭人としていきるか、でもいいです)のような迷いかもしれません。もっとも、織部は数寄の力を利して、武人としての栄華を得る機会も多く、かつ同じような立場にあった者は無数にいた中のトップ中のトップなので、簡単に彼我を比べるものでもないのですが。

なので、織部そのものと自分たちを比較するのはやめて、彼らが重んじた用と美、渡りと景について自分たちの環境に置き換えて考えてみたいと思います。

まず、仕事と趣味の両立を目指している方には申し訳ないのですが(『クッキングパパ』的な人生?)、僕はそこには全く興味がありませんので、仕事は仕事、趣味は趣味みたいにオンオフを分ける生き方についてはここでは触れずにおこうと思います。

僕が考える渡りと景の配分対象とは、仕事人として、実用的かつ効率的な仕事のこなし方や成果を渡り、その進め方や成果そのものに美しさや華を求めることを景として考えたいと思います。

渡りと景の配分は、自分次第ですが

ビジネスパーソンとして、その仕事ぶりにも成果にも、渡りのみでなく景を大事にしていくことが大事だと僕は思います。

成果については言わずがなものです。
例えば当社、リボルバー はコンテンツマーケティング運用のプラットフォームとして、dinoというプロダクトを持っているわけですが、このプロダクトにもその有用性・実用性=渡りが最重要でありながら、やはり美しさや愉しさと言った景が必要であると僕は思います。

美しくなければ使っていて楽しくない。余計な装飾で使い勝手を損なっては本末転倒ですが、その動きや見た目に機能美が伴っていなければ、真の創造性は生まれないと思うのです。
(逆に言えば、美しくないプロダクト、ソフトウェアでもハードウェアでも不格好なものは僕は嫌いです。僕はアーティストではありませんが自分をクリエイターであると思っています。好みの問題もあると思いますが、A●●●oidスマホやW●●dows製品を触れたくないのは僕の美的感覚と合わないからです。また、凸凹した影付きのアイコンやボタンを多用するような古臭いソフトウェアは、見ただけで目眩がするので、絶対に使いません。不規則なフォントの使い方やちぐはぐな行間を許す向きも許せません。もちろん、一緒に働いていない人に自分の考えを押し付けるつもりはありませんが、僕と共に働く人には存分に等しく行動するよう強要します)

仕事ぶりについても同じことが言えると思います。例えば僕が電話が嫌いなのは、それが美しくないうえに自分勝手な都合を相手に押し付けるコミュニケーションツール(アポを取らずに相手のオフィスに押しかけるのとほぼ同じ!)であるからだし、かつ、その内容を記録しないのはビジネス進行上の問題になるからです(オンラインツールならログが残ります、だから言った言わないみたいな齟齬はあり得ません)。

用の美とは、様式美を重視する茶道から生まれた美学です。美学を持たない道はありません。
利休と織部が、異なる用の美の配分(利休は渡り 六、景 四。織部はその逆)を尊んだことは前述のとおりですが、両者ともその配分を考えることを重要視したことは同じです。つまり、両者とも同じ美学を持っていた、と言えるわけです。

利休と織部のどちらに僕が近いか?というと、僕も渡りと景で言えば4:6、つまり織部に近いかなと思います。しかし、世の中には極端に渡りゼロで景10でもいい!と考える人やその逆も存在します。それらの考え方には一応敬意を評しますが(どう考えようが個人の勝手ですから)、あまりに極端な人、もしくは渡りと景のバランスを尊ばない人とは相容れないと思っています。

感覚的ですが、渡りと景のバランスが、3:7もしくは7:3くらいまではどちらでも許せますが、それより極端に渡りと景の片方かを軽視する人とはお付き合いできないだろうなと思います。

画像: 渡りと景の配分を考えながら仕事しよう

小川 浩 | hiro ogawa
株式会社リボルバー ファウンダー兼CEO。
マレーシア、シンガポール、香港など東南アジアを舞台に起業後、一貫して先進的なインターネットビジネスの開発を手がけ、現在に至る。

ヴィジョナリー として『アップルとグーグル』『Web2.0Book』『仕事で使える!Facebook超入門』『ソーシャルメディアマーケティング』『ソーシャルメディア維新』(オガワカズヒロ共著)など20冊を超える著書あり。

This article is a sponsored article by
''.