Mediumは個人が「書くこと」にフォーカスしたプラットフォーム
以前にも書きましたが、僕はdinoを開発するにあたり、Mediumには強くインスパイアされました。
僕はブログ勃興期からのブロガーでありましたし、20冊を超える著書を持っています。つまり、人一倍書く、という行為にこだわりがあります。
その僕にとって、従来のブログのエディターや、国内のインターネットサービス最大手の某企業が提供する記事作成ツールなどのUIは、実に酷く、書き手の創造性や想像力を損ねかねない不恰好なモノとして映っていました。
ところが、Mediumのエディタは非常にシンプルかつエレガントで、書き手に余計な雑念を抱かせることがない。これはすごい、と思いました。
このMediumは、サイトを作る、ではなく、コンテンツを作る(というより記事を書く)ことにフォーカスしたサービスで、非常にエレガントなUIを持つ情報発信ツールです。
しかし、同時に僕はMediumの限界を感じました。それは何かというと、Mediumは個人の書き手というか、ジャーナリズム寄り、あるいは芸術的な文筆家に過度な期待を寄せるもので、結局のところ書き手の質と分別に依存しかねない、という疑念でした。プロ、というより、ハイアマチュアに寄ったサービスであるとも感じたのです。(同じことは、Tumblrにも言えます)
dinoは企業が「書き続けること」にフォーカスしたプラットフォーム
ただ、特別な知識やノウハウなしに、Web上に自由に良質なコンテンツを書き出せるというコンセプト自体は捨てがたいし、そういうニーズやウォンツを持っているのは個人よりもむしろ企業ではないか?という仮説を僕は立てました。
個人であれば、正直一般的なブログサービスやTwitter、Facebookなどのソーシャルメディアでも個人の主張をテキスト化できるし、そのほうがよほど気楽です。
でも、企業はそうはいかない。企業こそ、責任と自由をもって自社でコントロールできるメディア=オウンドメディアでの情報公開が必要だし、質の高い記事の作成と編集力を属人的ではなくシステマティックに担保しなければなりません。
メディアを作り、運営し、コンテンツを更新しつづけ、メディアを成長させる。
そしていつかはそのメディアで生み出したトラフィックやムーブメントを換金する機会を創出する。
こうした明確な目標を持つ行動、いわば戦略行動(maneuver)に基づくメディア運営にはMediumは向いていない、と僕は思いました。
MediumはB2Cプラットフォームとして設計されている。ならばB2Bプラットフォームで設計されたコンテンツパブリッシングサービスが必要になると考えたのです。
そこで、Mediumが持つシンプルでエレガント(書くことが楽しくなるにはこれが大事です)なUIに匹敵する、もしくは凌駕するエディターを持ち、複数の書き手を複数の編集者が監督できる仕組みを作ろう。そして、世界中のネットユーザーがPCからモバイルへと急速にシフトしている状態を鑑みて、最初からモバイルに最適化されたメディアを簡単に構築して、しかもサーバーやネットワークを別途用意しなくてもいい簡便なプラットフォームを用意しよう。
そんな設計思想を基に、僕たちはdinoを作り上げました。
僕はエヴァン・ウィリアムズという天才起業家をリスペクトしています。しかし、機能するビジネスモデルと美しいプロダクトの組み合わせという意味において、我々が作り上げたdinoは、Mediumを超えるものだと自負しています。
良質のコンテンツを作り、配信し、拡散しようという強い想いを持っているのは個人より企業。使い勝手が良くて、役に立つプロダクトを欲しているのは個人より企業。僕たちは企業・団体にこそ必要とされる、コンテンツパブリッシングプラットフォームを作っています。そのスタンスは今後も変わりません。