た元日の帰省帰りに、高速道路を疾走するトヨタ2000GTに出会しました。約50年も前の車とは思えない色気と気品に胸アツでした。今年もいいことありそうです。
さて、この名車と同様に、時代が変わっても変わらない真実がひとつあります。それはコンテンツは王様(Content is King)ということです。【追記 2020/02/05】

1996年に「コンテンツは王様」と喝破したビル・ゲイツ

GAFAとともに世界のITビジネス市場を席巻する大企業マイクロソフト(マイクロソフトをGAFAに加えるとき、GAFAMと書く向きもあるようですが、ダース・ベイダーや帝国軍≒悪の帝国に準えられたことさえあるマイクロソフトを筆頭に書くべきと考える僕は、MAGFA と書く方を好みます)。そのマイクロソフトの創業者であるビル・ゲイツは、同社がインターネットビジネスへの参入の遅れやモバイルOSへの取り組み方が甘かったことによって、得べかりし大きな市場シェアと利得を手にし損なったことを悔いる発言をしています。その原因となったのは自分の判断ミスであるとも話しています。

しかし、いわば神でもミスを犯す、というものであり、その“判断ミス”がビル・ゲイツの偉大さを損ねるものではありません。アップルの故スティーブ・ジョブズの派手な業績に比べると一般認知度においては差をつけられているかもしれないビル・ゲイツですが、彼こそはIT業界におけるゼウス、神の中の神です。彼が犯した“判断ミス”は、鋼鉄で作られた彼の金字塔(業績)に加えられた若干の擦り傷にすぎないのです。
(実際、現在のマイクロソフトはそうした失点を取り返して、1兆ドルを超える時価総額を誇っています)

そして、その彼が伝えたこの言葉、コンテンツは王様 という表現は、テレビや新聞などの媒体を利用した広告やマーケティング手法が、インターネットを媒体とする手法へと変遷している途中である現代においても、まさしく至言として注目を浴びているのです。

良いコンテンツを作ること。そしてそのコンテンツを上手に流通させること。それによって得た成果をマネタイズにつなげること。そう、コンテンツマーケティングそのものです。
コンテンツマーケティングこそは、あらゆるマーケティングの根幹であり、基本中の基本。コンテンツは王様というビル・ゲイツの言葉を素直に受けいれ、実行することなのです。

Content is where I expect much of the real money will be made on the Internet, just as it was in broadcasting.

インターネット上で生み出される利益のほとんどは、コンテンツによって生成される。放送業界において見られた現象と同じようにだ。

米中の強大化になす術なしの日本を憂いても仕方なし?

ところで、米国においては、テレビや映画などの映像コンテンツの市場ではNetflixという創造的破壊者(ブロックバスター)が存在し、彼らのおかげでディズニーやアップルなどの既存権益取得者の立ち位置を大きく脅かしています。
新聞や雑誌などの印刷メディアが牛耳ってきたテキストコンテンツの市場では、BuzzFeedやVox Mediaなどの創造的破壊者(ブロックバスター)が市場を変革させ、音楽コンテンツの市場でもSpotifyなどの創造的破壊者(ブロックバスター)が、CD業界を破壊したダウンロードビジネスをさらにストリーミング主体へと変容させました。

翻って日本国内の市場を見ると、確かに似たような変化は起きているものの、そのスピードは緩やか。さらにいえば、創造的破壊者(ブロックバスター)はすべて国産企業ではなく、海外から来た黒船ばかりの状態です。
ではアジア圏でのプレゼンスはどうかというと、アリババ、テンセント、(TikTokを擁する)ByteDanceなど、日本の名だたるIT企業が束になっても叶わない強大な勢力が次から次へと生まれ出る中国の台頭になすすべないのが現状・・・。インターネットビジネスにおいては米国と中国の二強の影響力が強まるばかりで、日本の存在感は低下していくばかりです。米中日の三国鼎立を実現する「天下三分の計」を見出すことはもはや叶わぬ夢でしょうか?

プラットフォーム+パブリッシャー=プラティシャー(Platisher)というコンセプトは目立たず静かに潜航中?

i映像、音楽、活字(テキスト)などの主要コンテンツを流通させてきたメディアの多くが インターネットを活用した新興企業にとってかわられている現状において、まず注目すべきは、コンテンツそのものを生成させる手法が大きくインターネット化されたわけではなく、主にコンテンツを流通させるプラットフォームのネット化が起きた、ということです。

もう少しブレイクダウンして分析してみると、

  • 映像コンテンツ
    映画のような長尺で構造的かつ創造的な(長期的な消費傾向のある)コンテンツの生成については一層プロ化し、高度化した。逆にいうと、この変化は既存路線の予定調和であるといえる。
    反面、短尺かつ即興的なコンテンツはYouTuber、TikTokなどの台頭でも分かるように瞬間的に消費される分、多くのハイアマチュアの台頭が目立ち、良い意味で大衆化した。
  • 音楽コンテンツ
    映像とは違って、音楽もしくは楽曲という形式でのコンテンツではプロ化とハイアマチュア化の二極化は起きず、プロによるハイコストで生成に時間がかかるスキームがさらに高度化した。
    ハイアマチュアが入り込める余地としては、ASMR(=Autonomous Sensory Meridian Response。聴覚や視覚によって引き起こされる直接的な快感)などの分野の一般認知向上がある。
  • テキストコンテンツ
    検索エンジンとの相性が最も良いうえにSNSなどで拡散されやすく、さらに一見特殊な訓練やスキルが必要なさげに見えるため(ワープロツールやブログなどの普及にもよって)、多くのアマチュアライターの参入が為された。その結果、書き手の信頼性が担保されないコンテンツでも扇情的であれば拡散されてしまいフェイクニュースのはん濫や質の悪いメディアの乱造へと繋がり、市場の弱体化を招いた。その反省もあり、現在ではコンテンツの内容の信頼性や質を保証可能な既存メディアや信頼に足る大企業によるメディアの編集能力が価値化された。
    ただ、映像コンテンツや音楽コンテンツに比べると、文章を書き(画像や映像などのリッチコンテンツを補助的に加えて)コンテンツを作成・配信するメソッドのITツール化は最も進んでいるといえる。

こうした事情の中で簡単にまとめると、

  1. 映像コンテンツ、音楽コンテンツの領域では、強大な創造的破壊者(ブロックバスター)言い換えるとプラットフォームが存在しているが、活字コンテンツにおいてはまだそこまでの覇権は存在していない
  2. 映像コンテンツではエンタメ領域に、音楽コンテンツではASMR領域に、テキストコンテンツでは全般的に、ハイアマチュアのクリエイター参入可能性の余地が見られる
  3. コンテンツの生成と配信技術においては、相対的にテキストコンテンツ領域でのツールがもっとも発達している

といったことが言えると思います。

【追記 2020/02/05】
こんなプロ動画サービスも登場しています。(10分を一口サイズと呼ぶあたり少しずれていると僕は思いますが)

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